京都地方裁判所 昭和53年(ワ)1134号 判決 1983年3月09日
主文
原告らの主位的請求および副位的請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
(主位的)
1 被告は原告らに対し、別紙目録一ないし三記載の各不動産につき、京都地方法務局伏見出張所昭和五二年六月二日受付第二四九八七号をもつてなされた取得者を被告、原因を昭和五一年一二月一三日相続とする各所有権移転登記を、取得者を被告および原告ら、原因を昭和五一年一二月一三日相続、各取得者の共有持分を被告、原告二井登美子および同森田冨佐子各七分の二宛、原告村井幸治および同村井治男各一四分の一宛に改める更正登記手続をせよ。
2 被告は原告(亡村井八重子訴訟承継人)らに対し、別紙目録五記載の建物を明渡せ。
3 被告は原告二井登美子、同森田冨佐子に対しそれぞれ金七五七万一、四二八円、同村井幸治、同村井治男に対しそれぞれ金一八九万二、八五七円および右各金員に対する昭和五三年四月一四日からそれぞれその支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
4 訴訟費用は被告の負担とする。
5 2ないし4につき仮執行の宣言
(副位的)
1 被告は原告らに対し、別紙目録一ないし三記載の各不動産につき、京都地方法務局伏見出張所昭和五二年六月二日受付第二四九八七号をもつてなされた取得者を被告、原因を昭和五一年一二月一三日相続とする各所有権移転登記を、取得者を村井八重子、被告および原告ら、原因を昭和五一年一二月一三日相続、各取得者の共有持分を村井八重子三分の一、被告および原告ら各一五分の二に改める更正登記手続をせよ。
2 被告は原告らに対し、それぞれ金五三〇万円および右各金員に対する昭和五三年四月一四日からそれぞれその支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
3 訴訟費用は被告の負担とする。
4 2および3につき仮執行の宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
主文同旨
第二 当事者の主張
一 請求原因
(主位的)
1 訴外村井義朝は昭和五一年一二月一三日死亡し、村井八重子(もと原告、以下「八重子」という。)は右義朝の妻としてその相続財産の三分の一を、原告らおよび被告はいずれも右義朝の子としてその相続財産の各一五分の二宛を相続した。
2 八重子、原告らおよび被告(共同相続人六名)は、昭和五二年五月三〇日に遺産分割の協議をなし、その話合いの過程において個々の相続財産の共有持分権を個別的に交換ないし贈与した結果、まず、別紙目録一ないし四記載の各不動産については、原告登美子、同冨佐子はそれぞれ従来から法定相続分として有していた各一五分の二の共有持分権に、八重子から贈与を受けた各一〇五分の一六の共有持分権を加えた各七分の二の共有持分権を、原告幸治、同治男はそれぞれ従来から法定相続分として有していた各一五分の二の共有持分権(少くとも各一四分の一の共有持分権)をそれぞれ取得したうえ、これらの持分権をいずれも被告が次の(一)ないし(四)の各条項を遵守することを条件として、同日被告に対し贈与(負担付贈与)した。
(一) 被告は、原告幸治、同治男と兄弟として仲よく交際すること
(二) 被告は長男として実母八重子と同居すること
(三) 被告は実母八重子を扶養し、同女にふさわしい老後を送ることができるように最善の努力をするものとし、妻とともに八重子の日々の食事はもとよりその他の身の廻りの世話をその満足をうるような方法で行なうこと
(四) 被告は先祖の祭祀(浄土真宗、稲荷神社)を承継し、各祭事を誠実に実行すること
3 次に、別紙目録五記載の建物については(原告らおよび被告は従来から法定相続分として有していた各一五分の二の共有持分権を同日八重子に贈与したが)、八重子は被告との間で被告が右(一)ないし(四)の条項を遵守することを条件として、右建物につき使用貸借契約を締結し、被告は現在右建物に居住している。
4 しかるに被告は右条項を全く履行しないのみならず、実母八重子を継続して虐待し、祭祀は全く放擲し、扶養しないばかりか、さらには昭和五三年一月二七日には暴力をもつて八重子の顔面、左前腕部を強打し、一週間の通院治療を要する傷害を負わせた。
5 八重子および原告らは同年三月二八日ころ被告に対し再三口頭で前記条項の履行を催告したが、被告はこれに応じなかつたので、本訴状をもつて原告らは前記2の負担付贈与を、八重子は前記3の負担付使用貸借をそれぞれ解除する旨の意思表示をした。
6 被告は昭和五三年三月一七日訴外株式会社大成不動産に別紙目録四記載の土地を代金二、六七二万円で売渡し、右会社から同日金一〇〇万円、同月一八日金四〇〇万円、同年四月一四日金二、一七二万円の支払を受けた。
したがつて被告は、前記5の負担付贈与の解除による原状回復義務に基づき、右代金のうち、原告登美子、同冨佐子に対してはそれぞれその持分七分の二に当る各金七六三万四、二八五円を、原告幸治、同治男に対してはそれぞれその持分一五分の二、少くとも持分一四分の一に当る金一九〇万八、五七一円を返還する義務を負つている。
7 被告は別紙目録一ないし三記載の各不動産につき、京都地方法務局伏見出張所受付第二四九八七号をもつて取得者を被告、原因を昭和五一年一二月一三日相続とする各所有権移転登記を経由している。
8 八重子は昭和五六年五月七日死亡したので、その子である原告らおよび被告は相続(法定相続分各五分の一)により、八重子の権利義務一切を承継し、八重子が別紙目録五記載の建物についてなした前記5の負担付使用貸借契約解除に基づき被告に対して有する右建物明渡請求権についてもこれを承継した。原告らは八重子死亡時点において全員一致で被告に対する右建物明渡請求を維持することを合意しており、その共有持分権は合計して五分の四であるから、原告らは八重子の被告に対する明渡請求権の承継人としても、また、共有物の管理行為としても、被告に対し右建物の明渡を請求しうる。
9 よつて、原告らは被告に対し、前記5の負担付贈与および負担付使用貸借の解除に基づく原状回復として、主位的請求の趣旨記載のとおり、別紙目録一ないし三記載の各不動産につきなされた各所有権移転登記の更正登記手続(ただし、原告幸治および同治男の共有持分については各一四分の一宛とし、一部請求する。)および別紙目録五記載の建物の明渡ならびに別紙目録四記載の土地の売得金の一部(合計七分の五)の返還(ただし、金七六三万四、二八五円についてはその内金七五七万一、四二八円、金一九〇万八、五七一円についてはその内金一八九万二、八五七円を一部請求する。)を求める。
(副位的)
1 主位的請求原因1に同じ。
2 八重子、原告らおよび被告を含む共同相続人六名全員の間で昭和五二年五月三〇日遺産分割の協議が成立し、被告は主位的請求原因2の(一)ないし(四)の負担を履行することを条件として別紙目録一ないし四記載の各不動産を単独で取得し、右協議に従つて右各不動産について、主位的請求原因7のとおり各所有権移転登記を経由した。
3 主位的請求原因4に同じ。
4 右3の事実よりするならば、前記遺産分割協議の合意には、以下に述べるような意思表示の瑕疵ないしは事情変更があるといえるので、無効であるか、取消ないしは解除されるべきである。
(一) 八重子および原告らは被告が右遺産分割の協議の成立に際して付加された主位的請求原因2の(一)ないし(四)の負担を履行することを動機として、右協議に応じたのであるが、後になつて被告には前記3で述べたように当初から右負担を履行する意思が全くなかつたことが判明した。
したがつて、八重子および原告らの右遺産分割の協議の意思表示には、その動機に錯誤があり、右動機は右意思表示の重要な部分(要素)であり、かつ、表示されているから無効である。
(二) 仮に(一)の錯誤の主張が理由なしとするも、被告は右負担を履行する意思が全くなかつたにもかかわらず、右負担を絶対に履行する旨八重子および原告らを申し欺き、その旨同人らを誤信せしめたうえ、同人らをして右遺産分割の協議に同意する意思表示をさせたものである。
よつて、八重子および原告らは被告に対し、本訴状をもつて右遺産分割の協議の合意を取消す旨の意思表示をした。
(三) 仮に(二)の詐欺の主張が理由なしとするも、右遺産分割協議において、被告は右負担を履行することがその客観的基礎となつていたにもかかわらず、これを全く履行しなかつた。
この事実は遺産分割協議成立の客観的基礎となつた事情が被告の背信行為という八重子および原告らの予期し得ない事実によつて変更し、右遺産分割協議の内容どおりに八重子および原告らを拘束することが信義則上不当な場合といえる。
したがつて、このような場合には八重子および原告らにおいて事情変更の原則による右遺産分割協議の解除権の発生を認めるのが相当である。
よつて、八重子および原告らは被告に対し、本訴状をもつて右遺産分割の協議を解除する旨の意思表示をした。
5 八重子は主位的請求原因8のとおり死亡したので、原告らにおいて更正登記手続を被告に求めるものであるが、これは共有物保存行為として共有者たる各原告単独でもなしうるものであり、また、前記義朝死亡による権利変動に登記を一致させようとするものであるから、死亡した八重子に対する共有持分登記をすることに問題はない。
6 被告は、主位的請求原因6のとおり、訴外株式会社大成不動産から別紙目録四記載の土地売買代金二、六七二万円を受取つたが、右土地は遺産分割協議の合意の無効、取消ないしは解除および八重子死亡の結果、原告らおよび被告は八重子死亡前に有していた共有持分権各一五分の二に、八重子の共有持分権三分の一に法定相続分各五分の一を乗じた結果としての共有持分権各一五分の一を加えた各一五分の三、すなわち各五分の一の共有持分権を有していることになり、これを右土地代金額に当てはめれば、原告らの被告に対する悪意の不当利得を原因とする返還請求または不法行為に基づく損害賠償もしくは解除に基づく損害賠償請求の額は、原告らそれぞれ各金五三四万四、〇〇〇円となる。
7 よつて、原告らは被告に対し、前記4の遺産分割協議の合意の無効または取消の場合は、悪意の不当利得または不法行為として、解除の場合は原状回復として、副位的請求の趣旨記載のとおり、別紙目録一ないし三記載の各不動産につきなされた各所有権移転登記の更正登記手続を求めるとともに、別紙目録四記載の土地の売得金の一部(合計五分の四)の返還(ただし、金五三四万四、〇〇〇円の内金五三〇万円を一部請求する。)を求める。
二 請求原因に対する認否
1 主位的請求原因1の事実中、村井義朝の死亡、八重子、原告らおよび被告の法定相続分が原告ら主張のとおりであることは認める。
2 同2の事実中、共同相続人六名間において昭和五二年五月三〇日遺産分割の協議が成立したこと、被告が右遺産分割協議の結果、別紙目録一ないし四記載の各不動産を取得したこと、被告が長男として八重子と同居し、同人を扶養する義務のあることおよび先祖の祭祀を行なうべきものであることは認めるが、その余の事実は争う。被告が右各不動産の所有権を取得したのは遺産分割の協議によるものであり、八重子および原告らが有した共有持分権の贈与を受けたものではない。また、被告の右同居、扶養等の義務が原告ら主張のように右各不動産の所有権取得の条件となるべき性質のものではない。
3 同3の事実中、八重子が遺産分割の協議の結果、別紙目録五記載の建物を取得したこと、被告が右建物の一部を使用していることは認めるが、その余の事実は争う。なお、被告が右建物の一部の使用をはじめたのは、昭和五二年二月一三日からであり、八重子の懇請によるものであり、原告ら主張の右同居、扶養等の義務が右建物使用の条件となるべきものではない。
4 同4の事実中、被告と八重子との間において昭和五二年一一月ころから感情的な対立が生じ、昭和五三年一月二七日ころ口論のうえ被告が八重子を素手で殴打したことはあるが、その余の事実は争う。
5 同5については争う。
6 同6の事実中、被告が株式会社大成不動産に対し別紙目録四記載の土地を売却したことは認めるが、その余の事実は争う。
7 同7の事実は認める。
8 同8の事実中、八重子の死亡、原告らおよび被告の法定相続分が原告ら主張のとおりであることは認めるが、その余の事実は争う。
9 同9については争う。
10 副位的請求原因1および3については、主位的請求原因1および4についての認否に同じ。
11 同2の事実中、共同相続人六名間において昭和五二年五月三〇日遺産分割の協議が成立したこと、被告が右遺産分割協議の結果、別紙目録一ないし四記載の各不動産を取得し、原告ら主張の各所有権移転登記を経由したことは認めるが、その余の事実は争う。
12 同4の事実は争う。
13 同5の事実中、八重子の死亡の事実は認めるが、その余の事実は争う。
14 同6については争う。
三 被告の主張および反論
1 法律上の主張
(一) 遺産共有、遺産分割の協議の法律上の性質について
原告らは、遺産共有の性質について、共同相続人は相続開始と同時に個々の相続財産について共有持分権を取得するものとし、これは通常の共有持分権と何ら変りなく、その割合が相続分であるとし、遺産分割の協議は各共有持分権を相互に交換ないし贈与し合つて共有者各自の単独所有とする事実行為であるかのごとく主張しているが、遺産は全体として共同相続人に合有されているものであつて各個の財産について相続人の個人的な支配的権利関係はなく、遺産分割によつてはじめて特定財産の上に権利を取得するものであり、遺産分割の協議は普通の共有物分割のように各共有者の持分の相互移譲ではなく、合有以前の権利者たる被相続人から承継的に取得するものと解すべきである。
仮に原告らの立論に拠つたとしても、原告らは個々の相続財産すべての上に有する各相続人の持分権の範囲と評価を明らかにしたうえ、各相続人間においてなした交換ないし贈与の関係を明確にすべきであるところ、別紙目録一ないし四記載の各不動産についてのみ、原告登美子、同冨佐子が八重子から各一〇五分の一六の持分権の贈与を受けたとか、原告幸治、同治男が従来から有する各一五分の二の持分権のうち各一四分の一の持分権について一部請求するなど主張するが、右持分権の割合についてその算定の根拠は不明であるのみならず、その余の相続財産について何ら言及することなく、とりわけ原告幸治、同治男については、遺産分割の協議の結果、単独(両名共有)取得した不動産もあるのであるから、右関係を明らかにしない以上、持分権を算定することはできず、各相続人が相互に何をどのように交換ないし贈与した結果、現在の具体的な個別財産を相続したと主張しているのか全く不明である。
(二) 遺産分割協議の解除の可否について
原告らは被告の債務不履行を理由として負担付贈与を解除した旨主張するが、遺産分割そのものは協議の成立とともに終了し、いわゆる処分契約に属しその性質上解除の問題は生じないものであり、また、遡及効のある遺産分割について再分割が繰返されることは法的安定性を損うことになるので、債務不履行を理由として民法五四一条により遺産分割協議を解除することは許されない。この理は原告らが副位的請求原因として主張している事情変更による解除についても同様である。
(三) 原告らは主位的請求原因においては遺産分割協議を単なる事実行為にすぎないとしながら、副位的請求原因においてはこれを法律行為であるとし、二様に使いわけているが、事実行為とした場合に遺産分割協議において個々の財産につき現在の財産状態が設定された遺産分割協議書(乙第一、二号証)をどのように解しているのか全く不明である。
2 事実上の主張および反論
(一) 主位的請求原因2の(一)ないし(四)の条項について
右四項目の条項のうち、(一)は兄弟として当然心掛けるべきことであり、(二)ないし(四)は被告が長男として当然負担すべき性質のものであるが、本来条件となるような性質のものでなく、原告ら主張のように右四項目の条項を遵守することが遺産分割の条件として合意されたものではない。また、被告が別紙目録五記載の建物(以下「本件母屋」という。)に居住したことについても、右条項を遵守することを条件としたものでなく、使用貸借するとの話もなく、もともと家業である訴外村井友仙有限会社(以下「訴外会社」という。)を継ぐ者が本件母屋に戻ることになつていたので、被告が居住することになつたものである。これらの点け後記遺産分割の協議が成立した経緯からも明らかである。
(二) 遺産分割の協議が成立した経緯について
(1) 父義朝は死亡当時本件母屋に母八重子、二女原告冨佐子と同居し、これに隣接する別紙目録二、三記載の工場(以下「東工場」という。)、七記載の工場(以下「西工場」という。)等において訴外会社を営み、長男被告、二男原告幸治、三男同治男らも訴外会社の取締役等として勤務していたが、それぞれ別居し独立して生活していた。
(2) 被告は昭和四二年五月結婚と同時に義朝所有の別紙目録六記載の土地建物に居住していたところ、義朝生存中、父母から長男として本件母屋に帰り同居するよう求められたことがあつたが、これを断り、義朝が亡くなつた時には本件母屋に帰り、訴外会社を継いでゆくことを約し、父母もこれを了承していた。
(3) 義朝死亡後、共同相続人は義朝の相続財産の範囲、評価額等を調査することとし、訴外会社の顧問税理士林某にこれを依頼し、その内容が明らかとなつた昭和五二年二月ころから相続人間で遺産の分割および訴外会社の今後の経営方法について具体的協議に入つたものであるが、同月中旬ころまでに次の事項についてほぼ合意がなされた。
(ア) 長男である被告は、当時居住していた別紙目録六記載の建物から本件母屋に転居し、八重子および原告冨佐子と同居し、訴外会社を継ぐこと
(イ) 八重子は相続税等の関係があるので全相続財産の約三分の一に相当する同目録五記載の本件母屋の土地建物、賃貸中の善導寺町三番一〇宅地五二・五一平方メートルほか七筆、延四一三・〇一平方メートルおよびその地上の居宅八戸、床面積延四二六・一〇平方メートル(以下「貸家八戸」という。)、預金等を相続すること
(ウ) 原告幸治は同目録一〇記載の土地建物を、同治男は同目録一一記載の土地建物をそれぞれ義朝から生前贈与されているので、これらを斟酌して遺産の分割を受けること
(エ) 被告が居住していた同目録六記載の土地建物と一一記載の土地建物は早急に売却処分し、原告治男の自宅の買取り資金に当てること
(オ) 原告登美子、同冨佐子は他家に嫁ぎ、または将来嫁ぐ身であり、原告登美子は婚姻の際諸費用として金二〇〇万円程度を、原告冨佐子は将来の結婚資金として金二九一万余円の定期預金をいずれも義朝から生前贈与されているので相続はしないこと
(カ) 八重子が相続する前記(イ)の不動産のうち、本件母屋の土地建物は被告、貸家八戸のうち六戸は原告登美子、同冨佐子、その余の二戸は原告幸治、同治男が将来八重子から相続するものとすること
そこで、右合意に基づき、被告は昭和五二年二月一三日本件母屋に転居し、原告治男も同年三月ころ相続人全員の承諾を得て同目録六および一一記載の各土地建物を代金一、一五〇万円で売却し、肩書住所地に自宅を購入した。
(4) しかしながら、訴外会社の経営方法(被告の単独経営とするか、被告、原告幸治および同治男三名の共同経営とするか。)については相続人間で意見が分れ、また、訴外会社が使用してきた東工場、西工場の土地建物の分割については、原告幸治、同治男が前記(3)(ウ)のとおり生前贈与を受けていた関係で相続人間で意見が一致しなかつたので、その後も再三協議を継続してきたところ、昭和五二年二月末ころから同年三月初めころ叔母(義朝の妹)である訴外角口ユキエから原告幸治、同治男は被告とは別個に独立して営業すること、そのため同原告らに西工場を相続させることとの提案がなされた。
(5) そこで同原告らの希望を前提として協議した結果、同年四月末ころまでに大筋において合意がまとまり、さらには林税理士から提出された計算書に基づき善導寺町三番二九宅地五二八・九五平方メートルを関係者立会のうえ実測してこれを分筆し、最終的には同年五月二四日次のような内容の実質的協議が成立した。
(ア) 原告幸治、同治男は昭和五二年五月三一日限り訴外会社を退職すること
(イ) 原告幸治、同治男は別紙目録七ないし九記載の各不動産を相続取得し(持分各二分の一)、同目録七および九記載の各不動産において独立して染色業を営み、同目録八記載の土地を処分して営業資金を調達すること
(ウ) 被告は同目録一ないし四記載の各不動産を相続取得して訴外会社を経営すること
(エ) 訴外会社は原告幸治、同治男に対し退職金引当として、次の物件を譲渡すること
<1> 捺染乾燥機 一台
<2> スクリーン台 五台
<3> 自動車(ニツサンローレル) 一台
<4> その他スケージ、バケツ、糊だめ
(6) そこで相続人らは同月三〇日同年六月一日付遺産分割協議書を作成したうえ、各自これに署名押印した。
(三) その後における相続人間の紛争について
被告は昭和五二年一一月六日ころ八重子の食事を打切つたが、これは当時訴外会社の経営が苦しかつたにもかかわらず、八重子が何の相談もなく、訴外会社の全取引量の二分の一ないし三分の一を占める得意先の訴外京都繊維株式会社を原告幸治、同治男に紹介し、訴外会社と右京都繊維との取引が中断されかねない事態になつたことに起因する。また、被告は昭和五三年一月末ころ八重子に暴力を振つたが、これも八重子から被告が原告冨佐子の定期預金(原告登美子名義)二九一万円余を流用したと泥棒呼ばわりされたことによるものである。
被告が八重子に右の所為をしたことは道義上の責任は格別として、いずれも何の原因もなくしたことではなく、親子間の一時的感情から生じたもので、まして前記条件の不履行としてとらえるべき筋合のものではない。
(四) 副位的請求原因4の主張についての反論
(1) 錯誤による無効について
前記四項目の条件を履行する意思が被告にはなかつたわけではなく、これらは当然被告としてなすべき性質の事柄であり、したがつてこれらが分割協議の話合いの中にも条件として持出されたことはない。
原告らは右各負担を履行することを動機として遺産分割協議に応じたと主張するが、これらが表示されていたわけではなく、動機となつていたものでもない。まして動機が分割協議の意思表示の重要な要素になつていたものでもないのはもちろんである。
仮に動機としての表示がなされていたとしても、それは分割協議の意思表示の重要な要素になつていなかつたことは、すでに義朝死亡当初から被告が訴外会社を継ぐことが暗黙裡に相続人間で認められていたこと、原告登美子、同冨佐子も被告が家業を継ぐため八重子から説得されてその相続分を主張しなかつた等から明らかである。
(2) 詐欺による取消について
前記四項目の条件は当然被告としてなすべき性質の事柄であり、これらが相続の条件として持出されたことはなく、当初からこの点につき履行意思が全くないのに原告らを申し欺く欺罔の意思など被告にはなかつた。
(3) 事情変更による解除について
右各条件が分割協議の客観的基礎になつていたものでないことは、これらの話が協議の話合いの俎上にのぼらなかつた
ことからも明らかであり、協議の客観的基礎に変更があつたとはとうていいい難い。
仮に各条件のごとき話か俎上にのぼつたとしても、前記(1)で述べたように、これらは分割協議成立のための不可欠な客観的基礎とされていたわけではない。
四 原告の反論および再反論
1 法律上の主張
(一) 遺産共有、遺産分割の協議の法律上の性質について
遺産共有の性質について合有説が存在することは被告主張のとおりであるが、近時法定相続分に関する認識は一般に完全に普及しており、遺産分割協議においてもその当事者は各自法定相続分だけは要求しうるという前提から出発してそこからどの程度譲歩するか否かを判断しているのが実際であり、本件相続もその例外ではなかつた。このことは原告幸治、同治男、同冨佐子らが本件遺産分割協議の過程で自己に法定相続分を帰属させるよう強く主張していた事実からも明白である。
したがつて本件遺産分割の協議の成立は、原告らがつとに主張しているごとく、被告が家業である訴外会社を継ぐことに関連した義務(負担)を履行することの見返りとしてなされた原告らの譲歩(贈与)として把握することが実体に合致する。
(二) 遺産分割協議の解除の可否について
被告が遺産分割協議の解除を否定する根拠としている法的安定性の阻害については、要は解除の効果を第三者に及ぼすか否かの問題であつて、当事者間で考慮する必要はない。また、遺産分割は処分契約であり性質上解除の問題が生じないとの考え方も、要は実体をどのように把握することが法的に適切であるかの問題である以上、唯一絶対の解釈ではあり得ず、むしろ(一)に述べたごとき近時の遺産分割についての一般的意識からすれば、持分の贈与と把えるのが適切である。
2 事実上の主張
(一) 遺産分割の協議が成立した経緯について
(1) 被告は遺産の分割について始めから極めて関心をもち、妻昌子の父左近仁男とも相談し遺産を独り占めしようと考えていた。その端的なあらわれとして、義朝死亡後すぐに別紙目録六記載の建物から本件母屋へ引越したいと希望して八重子に四九日忌がすむまで待つようにたしなめられたり、原告冨佐子に対し「昌子のいうことを聞かないと母とともに追い出してしまうぞ。」と脅し、八重子に対しても「養老院へ行け。」などと暴言を吐いたりしている。しかし右のような被告の態度にもかかわらず、昭和五一年一二月中は遺産の分割が問題になることはなかつた。八重子および原告らは昭和五二年一月四日相続人全員が集つた際、被告から銀行の手続をするために必要であるといわれて委任状を渡したことがあるが、遺産分割についての具体的な話は出なかつた。被告は同月一〇日八重子および原告幸治から委任状をもらい、空席となつていた訴外会社の代表取締役に就任しその登記をしたが、そのいずれの際にも自分を信じてくれの一点張りで、着々と訴外会社を自分一人の支配下に置こうとしていた。
(2) 原告登美子を除く相続人らは同月中旬ころから被告の呼びかけで角口ユキエを交えて遺産分割の協議をはじめたが、角口は義朝の妹で本件母屋で育ち、同業の角口友仙に嫁いでいたため、自分か育つた当時と同じ状態で村井友仙(訴外会社)を存続させておきたい気持が強く、被告に義朝の遺産をすべて相続させ、訴外会社の細分化を防ごうと考えていたから、遺産分割協議の当初から被告寄りの立場であつた。原告幸治は訴外会社の工場について何の権利もないと自分の子供の代に心配であるから一部についてでも共有名義にしておいてほしいと主張し、同冨佐子も法律上貰える分は貰いたいと主張した。これに対し被告は遺産はすべて長男である自分が相続し、原告幸治、同治男は訴外会社の使用人となればよいなどと虫のよいことをいつて原告らの神経を逆なでするような言動に終始したので、協議はまとまらなかつた。
(3) 同年二月始めころの話合いでは、被告はその主張が通らないので、「相続財産を全部くれないなら村井友仙(訴外会社)は(原告)幸治が継げ。その代り自分に幸治の住んでいる家(別紙目録一〇記載の土地建物)をくれ。」と主張したが、それが本心でなかつたことは、同年一月末ころから本件母屋を修理していたことや、原告治男が、「兄貴二人が継がないなら自分が継ぐ。」といい出したのに対し、あわてて原告治男に継がせるわけにいかないといつて拒否したことからも明らかである。ところが被告は自分か訴外会社を継ぐのは当然であるとし、同年二月一三日ころ原告らに諮ることなく、さつさと本件母屋に引越した。その後同年三月中の話合いでも、被告は、「全部相続させないなら大阪の妻の実家へ帰る。」などとその気もないことをいい、原告らが「それなら帰ればいいだろう。」といつて問題にしない態度をとると、角口は「村井の後継ぎを追い出すのは村井の家の恥や。」などといつて協議に介入し話合いを混乱させ、同月中も協議はまとまりそうになかつた。
(4) その後同年四月一二日ころ角口から別紙目録七および九記載の各不動産を原告幸治、同治男にやつたらどうかとの提案がなされたが、具体的に話を煮つめる前に、同月一四日八重子が上京したので結論はでなかつた。そして八重子が同月二七日ころ帰ると、原告登美子を除く相続人らで話合いがなされたが、被告は角口の提案をのまず、同目録七記載の不動産しか渡さないと主張した。このころ原告幸治、同治男は角口の提案により訴外会社から分離独立するという考えに固まりつつあつたので、同目録七記載の不動産だけでは工場としてやつていけないと主張し、さらに本件母屋と貸家八戸は八重子が相続し、それ以外の工場は、いつそのこと、すべて原告らおよび被告五名の共有にしたらどうかと主張したが、被告は共有名義には法律上できないのだといい、結論はでなかつた。
(5) 同年五月に入ると被告は譲歩する態度をみせけじめ、原告登美子、同冨佐子の相続分はすべて自分に渡せといい出し、同月二一日ころ八重子に対し被告は、「自分が村井の家を継いでいくためにはどうしても原告登美子、同冨佐子の相続分だけは必要だ。その代り八重子と原告冨佐子の面倒は二人の満足のいくようにみるし、先祖の祭祀は誠実に実行し、親類との付合いもきちんとやつてゆく。仕事が別れても兄弟仲よく家を守つていくから信用してまかせてほしい(四項目の条項の遵守)。」といい、角口も「村井の家が潰れてもよいのか。先祖様に対してどう思つているのか。」などときつく非難した。そこで八重子は気持が動かされて、自分の相続する貸家を将来同原告らに継がせればよいと考えて同原告らを説得したので、同原告らは八重子から右の被告の約束したことを聞かされて相続しないこととなつた。
また、原告幸治、同治男はあくまで法的相続分だけは継ぐこと、すなわちこれに相当する別紙目録四および七ないし九記載の各不動産を相続することを主張したが、被告が同目録四記載の不動産は相続させてほしいといい、その代り前同様四項目の条項の遵守を約束したので右不動産についてはこれを相続しないことにした。ただ、同原告らが独立して工場をやつてゆくためには同目録八記載の土地を売却して資金をつくる必要があつたが、その土地と同目録四記載の土地に跨る建物があり、この建物については同原告らおよび被告の持分を敷地面積に応じた共有とし、ただ登記は被告の単独名義としておいたので、同原告らが同目録八記載の土地を売却する場合には被告は右建物部分の滅失登記について異議なく承諾すると特約した。
このような経過で、八重子、原告らおよび被告間で同月三〇日遺産分割協議が成立した。
(二) 本件紛争の特質
(1) 被告は遺産分割が終了するまでは、たくみな掛け引きを用いて原告ら弟妹の譲歩を引出し、分割協議が完了したとみるやそれまでの約束を悉く反古にするのみか訴外株式会社京都繊維に関する根拠のないいいがかりをつけ、八重子の食事の世話を拒否し、あろうことか同女に暴力をふるつたものである。すなわち、
(2) 被告は昭和五二年五月三〇日遺産分割協議が成立するや、翌三一日には何かと難ぐせをつけて原告幸治、同治男に対し同月分の給料の半額しか渡さず、同原告らおよび被告との間で問屋からの注文は問屋の自由にまかせ自由競争でいこうということになつていたにもかかわらず、紅藤株式会社その他の問屋に対し手を廻し、同原告らに仕事を廻さないでほしいと電話するなどのいやがらせをした。同原告らは何とか注文先を確保する必要があつたので、京都繊維へ行つて仕事を廻してほしいと依頼したところ、被告が京都繊維にも同原告らの悪口をいつていることが判明し、社長の母親である北村某から一度母親にきてもらつてくれといわれ、八重子は同年六月末ころ北村某のところへ行つてそれまでの遺産分割の事情について説明した。
さらに原告幸治、同治男は同月一三日別紙目録八記載の土地を売却するため前記特約により建物滅失登記の書類に被告の押印を求めたが、被告はこれを拒否した。そこで同原告らは同年七月はじめころ京都家庭裁判所に調停申立をし、同年一〇月二八日ようやく調停が成立したが、結局のところ同原告らは右土地上に存する建物部分を金一〇〇万円で被告から買取らざるを得なかつた。
(3) 原告幸治、同治男は以上のような被告のいやがらせが続く中で取引先から仕事が貰えず、同年六月一日から同年八月末までの間角口友仙から仕事を貰つたにすぎず、そのうえ前記のとおり土地の売却ができず収入もなかつたので、親戚から金を借りるなどして糊口をしのいでいたが、これを見かねた角口の口ききで同年九月から京都繊維の仕事を訴外会社の下請けとして貰うこととなつた。ところが京都繊維は、同年一一月七日訴外会社の染物のできが同原告ら(村井幸染工場)のできと比較してよくなく、採算がとれないと考え、被告に対し訴外会社とは今後取引しないと通告した。
これに激怒した被告は京都繊維に乗り込んで行つたものの取引再開をさせるに至らなかつたが、八重子が京都繊維の社長の母親北村のところへ行つたことを知り、八重子が北村に自分のことを中傷したため取引停止になつたと邪推し、同日から八重子の食事を切るに至つた。八重子は角口に仲に入つてもらい被告および昌子に仲直りを申入れたが拒否され、義朝の一周忌には昌子の父左近仁男、角口、原告らが集まつて被告と話合つたが解決しなかつた。
(4) 被告は昭和五三年一月中には八重子を健康保険からはずし、先祖の祭祀、親戚との付合い、原告冨佐子に小遣を渡すこともしなくなり、同月二七日には別紙目録四記載の建物(倉庫)も取こわし(同年四月には土地を売却した。)、原告冨佐子の定期預金も勝手におろして自己名義に変更した(この預金は後に取戻しずみである。)ので、八重子は同年一月二七日腹を立てて被告に文句をいつたところ、被告に顔面、左前腕部を殴打されて通院治療一週間を要する傷害を負わされた。
(5) 法理論はあくまで実体から導き出されるものでなければならない。被告主張のごとき遺産分割の法的性質あるいは解除を不可とする法理論から、逆に現実の紛争を規律しようとする発想は逆転している。このことは前述したとおりの経過で八重子をしてその死亡に至るまで失意の底に落し続けた被告の保護されることが全体としての規範体系の中で許されるか否かを考えれば自ら明らかである。
第三 証拠(省略)
別紙など
目録
一 京都市伏見区深草善導寺町三番三一
宅地 一一六三・八二平方メートル
二 同所三番地三一、家屋番号三番三一の一
木造瓦葺平家建工場
床面積 三一一・八二平方メートル
附属建物
1 木造瓦葺平家建物置
床面積 三二・四〇平方メートル
2 木造瓦葺平家建便所
床面積 一・七一平方メートル
三 同所三番地三一、家屋番号三番三一の二
木造瓦葺二階建工場
床面積一階 二四七・五六平方メートル
二階 二二三・八六平方メートル
附属建物
鉄骨造亜鉛メツキ鋼板瓦棒葺二階建工場
床面積一階 一〇〇・九八平方メートル
二階 一〇〇・九八平方メートル
四 同所三番二九
宅地 二一一・三八平方メートル
同所三番地二九、家屋番号三番二九
木造亜鉛メツキ鋼板葺平家建倉庫
床面積 三一八・三二平方メートル
五 京都市伏見区深草善導寺町三番
宅地 五七六・九二平方メートル
同所三番地、家屋番号三番
木造瓦葺二階建居宅
床面積一階 二五七・七〇平方メートル
二階 八七・七九平方メートル
附属建物
1 木造瓦葺二階建倉庫
床面積
一階 二七・二六平方メートル
二階 二七・二六平方メートル
2 木造亜鉛メツキ鋼板葺平家建ガレージ
床面積 一〇・一五平方メートル
六 京都市伏見区深草泓ノ壷町七番一二
宅地 五一・五三平方メートル
同所七番地一二、家屋番号四番四
木造瓦葺二階建居宅
床面積 延 六三・六六平方メートル
七 京都市伏見区深草善導寺町三番三〇
宅地 三一〇・〇七平方メートル
同所三番地三〇、家屋番号三番三〇
木造亜鉛引鋼板葺平家建工場
床面積 二四九・五二平方メートル
八 同所三番三二
宅地 一六五・三九平方メートル
同所三番地二九、家屋番号三番二九の二
鉄骨造スレート葺二階建工場
床面積一階 七八・四四平方メートル
二階 七八・四四平方メートル
九 同所三番三三
宅地 一五二・一六平方メートル
一〇 宇治市広野町宮谷二八番二四所在土地建物
一一 京都市伏見区深草泓ノ壷町七番一一所在土地建物
<省略>